大橋会長曰く、大橋ボクシングジムの歴史そのものと言われた元WBCスーパーフライ級チャンピオンの川嶋 勝重 氏。

ボクシング未経験者の21歳の若者が大橋ジムの門を叩き、それから世界チャンピオンになるまでの思い出を存分に語っていただきました。

1974年(昭和49年)10月6日、千葉県出身。97年2月、22歳でプロデビュー。 2002年4月、日本スーパー・フライ級タイトルを獲得。2003年6月、WBC世界スーパー・フライ級王者の徳山昌守選手に挑戦したが判定負け。2004年6月の再挑戦で1回TKO勝ち、世界王者の夢を果たした。

2008年引退後は妻と一緒にオリジナルジュエリー「Ring」を経営し、第2の人生を送っている。

なぜボクシングを?

高校時代には野球をやってました。卒業して千葉の東芝にサラリーマンとして就職してからも軟式の野球をやってましてね。社会人で野球といいましても週1回くらい練習するくらいで、東芝社内だけの大会(60チームくらい)の前だけ仕事終わってから練習するくらいでしたね。ですからボクシングにはまったく無縁でした。格闘技は好きでしたが、テレビで見てたくらいですね。大橋会長や辰吉さんの試合もテレビで見たのは覚えています。

そんなことをしている時期に小学校・中学校の時の同級生から「今横浜に住んでいてボクシングをやっているんだけど、今度プロデビューすることになったから応援に来てくれ」と連絡が来たんです。地元の友達20人くらいで横浜文化体育館へ行きました。この試合のメインは川島 郭志さんの2回目防衛戦(1995年1月18日)でした。ヨネクラジムの興行だったので、その友達は大橋ジムの選手だったんですけど、前座として試合を組んでくれたんですね。ボクシングを生で見るのは初めてで、テレビで見るのとこんなに違うのかとびっくりしたのを覚えています。

昔一緒に遊んだ友達がリングの上に立ってスポットライトを浴びている姿がとても信じられなくて、その時に純粋にあの舞台に立ってみたいというのがその時の気持ちでした。試合をする2人だけの世界観があると。

そんな動機だけで?

ええ。

でも...親も反対するだろうなあと思いながら、それから3ヶ月くらい悩みましたね。会社の同僚や上司に相談しましたが、上司には「おまえさあ、今からボクシングやってどうすんだよ。できるはずないだろ。」という感じでおもいっきり反対されました。(笑) でもボクシングをやりたいという信念は変わらず、親にも猛反対されましたが会社を辞めることにしました。

そのプロデビューした友人に相談したらちょうど隣の部屋が空いているので、来ないかと誘われて、でっかいカバンに何日間かの服なんかを詰め込んで横浜に行ったという感じですね。1995年の8月21日のことでした。その日ははっきり覚えています。

結局大橋ジムに入るわけですが、始めはどんな感じでしたか?

その8月にジムに入りました。野球をやってて体力には自身あったんですけど、ボクシングってこんなにむずかしいのかと驚きました。(笑)

始めは鏡の前でパンチを止めることしかやらせてもらえなくて、ジャブとワンツーを鏡の前で3ヶ月くらいやってました。まったくそれだけです。バンデージも2週間くらいしてやっと巻けるようになりました。

スパーリングはかなり上達した人しかやらせてもらえないんですけど、ボクの場合はかなり他の選手より遅かったですね。いざやってみるとこれはむずかしいなあと始めは思いましたね。サンドバッグは動かないから結構うまくできていたのですが、今度は相手が人間で動きますからね。

その時の大橋会長にはまったく目にも止まってなかったですね。当時大橋ジムは在籍だけでも200人くらいいましたからね。大橋会長がジムを開いて2年目くらいの時です。

始めはそんな感じでしたからもうやめちゃおうかなとか何回か思ったことも正直ありましたけど、親の反対を押し切ってまでボクシング初めて1年くらいで辞めて帰るのもできないなあと思いながら続けていたのを覚えています。(笑)