プロテストは?

ジムに入って半年くらいした時ですかね、会長にプロテスト受けたいんですけどと直談判したんです。だいたい会長のほうから「そろそろ受けてみるか?」と言われる人が多いんですけど、私にはいっこうに声がかからなかったんで会長に直接お願いしたんです。その時は会長にはあっさり「君はまだダメ!」の一言で終わってしまいました。

そのころ大橋会長から指導を受けるということはいっさいなく、今もいらっしゃる平戸トレーナーやヨネクラジムから来た人見さんがボクの指導をしてくれました。

その「ダメ」と言われてから3、4ヶ月くらいしてからもう一度言いに行ったんです。その時大橋会長には「じゃあアマチュアの試合に出て、もし勝ったらテスト受けてもいいよ!」と約束を取り付けたんですね。 試合はそれから1、2ヶ月後ぐらいにあって、たぶん会長はどうせ負けるだろうくらいに思っていたんですけど、KOで勝っちゃって、そのまま即刻プロテストの申し込みをしました。 会長も約束だからしょうがないなという感じでしたね。プロテストは一発で合格して、それで97年の2月にデビューすることになったんです。

戦績をみるとそれからトントン拍子に勝ってますよね。チャンピオンになりたいと思ったのは?

そのデビュー戦も川島 郭志さんの7回目の防衛戦がメインイベントでした。何か川島 郭志さんとは縁があるのでしょうか、今も川島 郭志さんのジムがお店と近くてね。

6戦目の全日本新人王で負けてから12連勝したんですが、その時でも世界チャンピオンなんて夢にも思っていませんでしたね。世界チャンピオンというのは、日本チャンピオンになって初めてそういう夢が出てくるのであって、ましてや川島 郭志さんのような世界チャンピオンのボクシングは私とはまったく次元の違うレベルにありましたから、絶対にできないと思ってましたからね。

日本チャンピオンを意識したのは、全日本新人王決定戦で負けてから、B級トーナメントという大会に出て優勝できたんですが、その時に初めて日本ランキング入りした時ですね。ランキング入りしたということはチャンピオンへの挑戦権を得られたわけですからね。ここまできたら日本チャンピオンにはなりたいと思いましたね。

この辺になると大橋会長も期待していたのでは?

その頃でも会長の目にはボクは止まってなかっと思いますね、わからないですけど。松本トレーナーも土屋くんとか見ていたし、私は平戸さんや他のトレーナーが見ていてくれていました。

そのころも横浜高校からボクシングエリートがジムに入ってきていたんですが、彼らもすぐに負けては辞めて行ってしまって、終いには勝ち続けていたのは私だけという感じだったですね。(笑)やっぱり高校だけでやっているのと、八重樫などのように大学までやっているのとでは全然違いますからね。

会長に認められたのは、白井・具志竪ジムの柳川 荒士選手とのランカー対決の時ですかね。柳川選手は中央大学出身のアマエリートで名前もある人だったんですけど、試合もポイントでは柳川選手に取られていたんですけど、終盤に倒せてギリギリ勝てたのですが、そのころから会長もいろいろアドバイスくれるようになったと記憶しています。